|
ありがとう。
ご訪問くださってありがとうございます。 只今、三部作目を発表中です。 一部は、バンドマンの彼と、彼を想う美沙の切なく哀しい物語。 二部は、美沙の妹、真幸の苦悩と、バンドマンの彼との関わり。 三部は、姉の美沙を探し、自分の存在価値が見つからない妹・真幸が、バンドマンの彼との関わりの中で大人になっていく様子。 ブログランキング参加しています。よかったらクリックしてくださいね^^ 人気blogランキングへ カテゴリ
全体
[Ⅰ]ごあいさつ [Ⅰ]第一章・1 [Ⅰ]彼の作品 [Ⅰ]第二章・1 [Ⅰ]第二章・2 [Ⅰ]第二章・3 [Ⅰ]彼の作品 [Ⅰ]第二章・4 [Ⅰ]第三章・1 [Ⅰ]彼のエッセイ [Ⅰ]彼のエッセイ [Ⅰ]第三章・2 [Ⅰ]日々 [Ⅰ]日々その後 [Ⅰ]第三章・3 [Ⅰ]彼のエッセイ [Ⅰ]彼のエッセイ [Ⅰ]第三章・4 [Ⅰ]第三章・5 [Ⅰ]彼の作品 [Ⅰ]彼の作品 [Ⅰ]彼の作品 [Ⅰ]彼の作品 [Ⅰ]第三章・6 [Ⅰ]第三章・7 [Ⅰ]第四章・1 [Ⅰ]第四章・2 [Ⅰ]最終話 [Ⅰ]続・小説1 [Ⅰ]続・小説2 [Ⅰ]続・小説3 [Ⅰ]続・小説4 [Ⅰ]あとがき [Ⅰ]関連リンク先 [Ⅱ][その後]ごあいさつ [Ⅱ][その後]第一章・1 [Ⅱ][その後]第一章・2 [Ⅱ][その後]第一章・3 [Ⅱ][その後]第二章・1 [Ⅱ][その後]第二章・2 [Ⅱ][その後]第二章・3 [Ⅱ][その後]第二章・4 [Ⅱ][その後]第二章・5 [Ⅱ][その後]第二章・6 [Ⅱ][その後]第三章・1 [Ⅱ][その後]第三章・2 [Ⅱ][その後]最終話 [Ⅱ][その後]あとがき [Ⅱ][その後]音源リンク先 [Ⅱ]ライブ無料音源配布 [Ⅱ]CD・関連リンク先紹介 [Ⅲ]ごあいさつ [Ⅲ]序章 [Ⅲ]第一章・出会い・メール・心 [Ⅲ]第二章・真幸の日々 [Ⅲ]第三章・展開・メール・心 お知らせ 未発表 ライフログ
ネームカード
おすすめキーワード(PR)
ファン
|
ご訪問ありがとうございます。 諸事情により、しばらく更新を止めさせていただいております。 執筆が滞っているわけではありませんので、物語は最終話まで続きます。 ご訪問いただいた方々には申し訳ありませんが、もうしばらくお待ちください。 よろしくお願いいたします。 「――そうです。はい。高熱と咳が酷くて休むしかないと思います。――はい。もうちょっと看てあげたいので――」 高梨の声で真幸は目覚めた。どうやらベッドで寝ていたらしい。しかし自分で就寝した記憶はない。どうやって自分はベッドで寝たのだろうか。たぶん高梨が何とかしてくれたのだろう。 頭が、腕が、背中が、足が、全身が酷く痛んでいる。暴行によった全身の打撲が原因で、自分の体がやや熱を帯びているのがわかる。真幸は緩慢とした動作の中でようやく上半身を起こした。 「――はい。そうです。すいません。そのようによろしくお願いしたいのですけれど、どうでしょうか――」 高梨は会社と連絡を取っているのだろう。真幸が起きたことに全く気づかないまま会話を続けていた。 朝食の匂いがした。柔らかな風が頬をなでる。床に映ったカーテンの影をじっと見つめていた真幸にはその陰影が水面の揺曳のように映り、そして錯覚した。 水。 湖。 海。 どのイメージなのだろうか。ただ静かにゆらゆらと凪いでいる水面が想起される。 「あ、まーちゃ――」 高梨はそこで言葉を止めた。真幸はボンヤリとした意識のまま高梨をみる。 高梨の表情が一瞬崩れた。しかしその辛そうな表情はすぐに消え、いつもどうりの女性的で魅力的な笑顔に戻る。 「まーちゃん。ご飯作ったけど…、食べれる?」 朝食は本当に良い匂いがしていた。匂いに釣られたのだろうか真幸のお腹がグゥと鳴る。 実際に母に会ったことはないけれど、その匂いに母のような甘い懐かしさと優しさを感じた。 ――美紗おねえちゃん。 真幸は台所に、おねえちゃんの後姿を幻視した。 高梨は真幸の視線に誘導されて台所を見る。 「まーちゃん……」 真幸はおねえちゃんの後姿を幻視し続けていた。 高梨はベッドで起き上がっている真幸に抱きついたが、真幸は小さく悲鳴を上げて高梨を突き放した。 二人の様子に驚いたのか、真幸の足元、掛け布団の上でヒューウィーは小さく丸まり、様子を伺うように上目遣いでこちらを見ていた。 真幸はベッドから降り、楕円形のガラスが天板になっているテーブルの前にちょこんと座った。その動作を見た高梨は、作ってある朝食をテーブルに並べていく。 一汁三菜がちょうど食べ切れそうな適度なボリュームで盛り付けられている。白、緑、オレンジ、紫、茶と彩り鮮やかに並べられた。 朝食を一口含んだ真幸は、口の中にじわじわとした疼痛を感じた。どうにか飲み込むことができたが、これ以上は食べる気になれない。どうにかネギとワカメが具の味噌汁だけを流し込んで、真幸は箸を置く。高梨は何かを話しかけたいのだけれど話しかけられないような素振りを見せて、寂しそうに朝食を食べていた。 漠然とした諦観。躰にこびりついた汚辱。曖昧で不安定な精神。頭の隅で自己を否定している自分と、それを無視する自分。精神状態はめまぐるしく入れ替わり、静かに混ざり合っていく。 真幸は混沌としていた。 キス健さんへ お元気ですか…? 真幸は今、どうすればいいのかわかりません。キス健さんはそんな気持ちになったことがありますか? キス健さんの手はおおきいですか? あたたかいですか? 声はどんなですか? 歌を歌ってるときの声とおんなじですか? 真幸は怖いものがいっぱいありました。少しずつ乗り越えてきたつもりだったんだけど、また元に戻ってしまいそうです。怖いです。 キス健さんは男の人ですか? 男の人ですよね。だって、真幸が好きなキス健さんなんだもの。女の人のはずがありませんよね。 でも、キス健さんが男の人なら、やっぱり真幸は怖いです。怖くないのはおねえちゃんだけです。 でも真幸はキス健さんが好きです。でも、男の人なら怖いです。大好きなのに怖い。 真幸を助けて。姿を見せて手を引っ張ってください。たすけて。 真幸 ――まーちゃん。 頬に冷たさを感じる。雨だろうか。 「まーちゃん…」 酷く重い目蓋をやっとの思いで開くと目の前に高梨の顔があった。目が真っ赤に腫れ、唇を震わせながらただシクシクと泣く。見たことがないほどの表情で泣き崩れていた。 真幸は頭の奥が痺れているような感覚が続いていて、自分に起きた状況に対して、現実感が皆無だった。全身麻酔をしているかのように痺れていて、躰がいうことをきかない。 ようやく聞き取れるほどの小ささで高梨が、ゴメンなさい…、と言っていることに気がついた。 ううん、アヤちゃんのせいじゃないよ――そう言うつもりだったけれど喉が痛くて言葉にならず、結局無愛想のままに沈黙で答えただけだった。 次の瞬間、 下腹部に、痛み。 諦めに似た気持ちが真幸を襲う。 「ゴメンなさい…」 高梨の言葉をようやく聞き取ることができたけれど、それに対して何かを答えようという気持ちには到底なれなかった。 どれだけ時間が過ぎたのだろうか。真幸はようやく立ち上がり、高梨の手を握りながら、よろよろと帰宅した。 玄関扉をあけると異臭がした。ヒューウィーの排泄物の臭いだったけれど、それらを全て取り除く為のエネルギーが真幸の躰にはない。しかしどうやらそんな真幸を高梨は全てを察しているようで、無言のままテキパキと動き続け取り除いていく。 「…本当に…、ゴメンなさい…」 テーブルの向かいに座っている高梨はそう微かに呟いた。しかしその言葉の真意を掴み取ることが真幸にはできなかった。 沈黙が部屋を支配する。 真幸は何かを話そうとした。しかしその気持ちに反して言葉が一切出てこない。そして、自分が今何を考えようとしているのかもよくわからない。 意識、回想、言葉、そして現実の全てが曖昧にぼんやりとしているような、不安定な感覚が真幸を襲い続けている。 太腿に何かが触れたことで真幸は小さく悲鳴をあげた。心拍数が急激に上がり、意識が拡散する。ふと目を落とすと、ヒューウィーが真幸にぴったりと寄り添い、小さく丸まった体勢で強い鼻息をしていた。 「…まーちゃん、あのね」 そう言って高梨は言葉を止め、唇を噛み、涙を溜めてすすり泣き、震えて大きく呼吸をした。高梨も混乱し続けているのだろう。 「…どこから話せばいいのかわからない…。けど……あのね、早川とは昔付き合ってて、会社に入る前から知ってたの…。でも別れてから連絡なくて、……だから、会社に入ったときはビックリしたの。どうしてここに早川がいるの? って。でも昔のことは会社には関係ないし、その時は彼も彼女がいたみたいだし、もう関係ないやって…。その後、また付き合おうよって言われてアヤネすごく驚いて…」 真幸はCDラックの側面を移動している蜘蛛を凝視した。蜘蛛は小刻みに飛ぶように移動していく。 「もちろん付き合ってないよ。だって。…だって、もうその時にはアヤネまーちゃんが好きで…」 蜘蛛はそのまま移動し続け、テレビの裏へと消えた。真幸はその消えたポイントを凝視し続けていた。 「…もっと、もっと早くにまーちゃんに話しておけばよかった…。そうすれば、こんなことにはならなかったかもしれない…」 意識が拡散したまま真幸は高梨の話を聞いていた。予想していたうちの一つであった告白に驚きはなかった。ただ微かに怒りが沸いたけれど、それもすぐに鎮火した。 ああ真幸は無気力なんだね、ともう一人の真幸が見つめているような奇妙な感覚を覚えた。 「…ホントにどうすれば…。まーちゃん。ゴメンなさい…ゴメンなさい…ゴメンなさい…」
「どうしてその愛称を知ってるの?」
ショックのあまりに言葉が口を吐いて出る。 「だれから聞いたの?」 「綾音です。…って、あぁ、高梨さん――か」 いくつもの嫌な想像が浮かびあがり、怒りのために意識が混濁していく。 「どういうこと?」 「高梨さんから聞いたんですよ。まーちゃん――かわいい呼び名ですね」 「どうして高梨さんがそんなことをあなたに話すの?」 「僕が聞いたから」 話の核心をのらりくらりとかわされている気がする。たぶん馬鹿にされているのだろう。そう感じて、真幸の中で何かが切れた。もう冷静ではいられない。 「ふざけないで!」 突然の真幸の怒声に、早川は何が起こったのかを理解できていないようで、きょとんとしている。 「ふざけないでっていってるの! アヤネちゃんがそんなこと簡単にあなたに話すわけないじゃない! っていうかアヤちゃんはどうしたのよ!」 「へぇ…。そんな風に呼んでるんだ」 「アヤちゃんはどうしたのって聞いてるの!」 「さぁ…?」 「さぁじゃないでしょ! アヤちゃんは!?」 「あんまり大きな声出すなよ。頭に響くじゃないッスか。つかうるせーし」 瞬間、何が起こったのか理解できなかった。強い衝撃と視界の反転。そして背中の鈍い痛み。グゥ、と自分でも聞いたことのない変な声が洩れた。 とにかく起き上がらなければならない。 口の中に何かが押し込まれた。自分のくぐもった叫び声が聞こえた。そして腹部に気が遠くなりそうなほどの強い衝撃。足の付け根、ふくらはぎ、腿に続けて衝撃が続く。痛い、という明確な感覚。どうして…、という悲しい気持ちが肥大していく。 腰部に強い衝撃。肩、胸、両腕と衝撃が続いた。痛みと麻痺で上手く躰が動かない。 自分を見下ろしている人物がいた。しかし、電灯の光が逆行になって顔が良く見えない。 起き上がろうとするが、意思に反して躰がいうことをきかない。全身が痺れているような、重く痛いという不快な感覚。頬に冷たさを感じて、ようやく涙が溢れていたことに気がついた。 声を出そうと力を入れると、胸なのか腹なのか、痛みを感じる部分がどこなのかよくわからない。とにかく全身が酷く痛む。そして意識が朦朧と―― 「お、みんな~、あそこみてみろよ。マユがあんなところにいるゼ~」 どうしてカツ君はそんなことをいうの? 「みろよみろよ~。ハハッ、カァッコわりィ~」 どうしてカツ君はいつもそんなことをいうの? 「いいきみだよな。いつもえらそうなこといってるのに、あんなにマヌケなカッコウしてるゼ~」 どうして…。 「ハハッ。わらっちゃうよ。ハハハッ」 うるさい。 「お、ナンだよそれ」 うるさいからうるさいって言ったの。 「お、ナンだナンだ。まだゲンキあるみたいだ。みんな~、マユほうっておこうゼ~」 うるさいからアッチへいけ! 「そうだ。オレんちにあたらしいゲームあるから、それであそぼう――」 涙が溢れてくる。 オレンジ色の空。灰色の雲。湿り気のある風。遠くに聞こえる笑い声。そして、さわらさわらと草々が風に戦ぎ擦れ合う音。それらの全てが真幸を突き放しているような冷徹さを、真幸は感じる。 ぐらりと視界がゆがんだ。体中が痺れているのだろうか感覚がなくなり、自分の躰が地面に溶けていく。 ああ、このまま死んじゃうんだ。それでも、この悲しい気持ちがなくなるのなら、それでもいいや――そんなことを真幸は考えた。 自分がいなくなる。それはきっと大したことじゃないんだろう。誰かが悲しんだとしても、その誰かもいつかいなくなる。自分を知っている人間がみんないなくなったとき、自分がいたことは、最初からいなかったこととほとんど同じじゃない。それなら、この悲しい気持ちが長く続くよりも、いなくなってしまうことのほうが、きっといい。そしてきっと、こんな悲しい気持ちしかもてないマユも、いなくなった方がいい。きっとそう。きっとそう―― 誰? 誰かマユのこと呼んだ? ううん。誰だっていい。マユに話しかけないで。もうマユはすべてをあきらめたの。マユかわいくないし、おねぇちゃんみたいに明るくないし。マユなんて、マユなんて。 「そんな風に考えちゃだめだよ」 どうして? 「どうしてもだけど。じゃあ、どうしてか説明したらもうそんな風には考えない?」 それはわからないわ。それよりも、あなたはどこから話しかけているの。姿を見せて。 「それはわからないのかぁ。そっか。う~ん。じゃあ、どうしようっかなぁ…」 なにを話してくれても、姿も見せてくれない人のいうことなんて信用できません。 「あ、そうなんだ。そういう感じなんだね。でも、姿を見せようが見せまいが、正しいことは常に正しいのですよ? 逆に言うと、見える人にだけ姿を現すのって、胡散臭くない?」 あなたは何を言っているの? そもそも、正しいか正しくないかなんて聞いてません。信用できません、と言っているの。 「うん? 信用? そっか。信用は、されなくても別に良いです。信用しあっている関係の人間達が、やっていることは悪事ということもありますからね。信用は基本かもしれませんけれど、それが全てではありません」 信用できない人間…、じゃなくて、信用することを信じていない人間とは会話したくありません。 「そうなんだ。う~ん。じゃ、退散します」 静寂。 あたり一面は闇に包まれていて、何一つ何かを見つけることはできないほどの暗さだった。音も一切聞こえなかったが、その静寂が長く耳に張り付いていると、テレビの砂嵐のようなノイズを微小に発しているように聞こえた。 体温を感じない。ゆっくりと躰を動かしてみる。しかし、やはり感覚がない。手のひらを眼前に持ってきているはずなのに、それすら見えない。ああそうか、これが死か。
呼吸が乱れる。心拍数が上がる。走れば五分とかからない公園までの道のりが長く感じる。パンプスは走りにくい。靴だけでも履き替えてくればよかったという後悔。
何がどうなっているのかの憶測がめまぐるしく思い浮び、悪い予感ばかりが真実であるような現実味を帯びていく。 アヤちゃん。 アヤちゃん。 否、冷静になれ真幸。全てを勘違いしている可能性だってある。とにかく公園で早川に会ってそれで判断すればいい。 入口付近が街灯に皓々と照らされている寒々しい風景。真幸は入口に立って辺りを見渡すが、誰もいない。奥へ入っていくと、ブランコ脇のベンチに座っている人影がある。ゆっくりと近づいていくと、早川だと認識できた。声を出そうかと言う一瞬の戸惑い。 真幸の足音が聞こえたのだろう。早川はゆっくりとした動作で顔を上げ、真幸を見た。 「あぁ…工堂さん。お久しぶりです」 「早川くん…」 早川の名前を呼ぶと、もう言葉は出てこなかった。もどかしい沈黙が二人を包む。 湿り気を帯びた草木の芳香が残る独特な空気。ベンチを照らす街灯が発するノイズ。それらの刺激は何かを暗示しているのだろうか。精神が少し不安定になる。いけない、と真幸は感じた。気を張らなくては。 「あの。早川くん。メール見たんだけど…」 「工堂さん。今日もステキですね」 「え?」 「ステキだ、と言ったんですよ。意味解る?」 「え、ええ。もちろん…」 「本当にステキです」 「ありがとう。で、どうしてメールくれたの?」 「なんとなく…」 「なんとなく?」 「なんとなくですけど、いけませんか?」 「いけないことはないけど、でも、他に何か意味があるんじゃないの?」 「他に意味なんかないッスよ。単に真幸さんにメールを送ってみたかっただけです」 そこで早川は僅かに不適な笑みを漏らした。 「というか、まーちゃん、かな?」
けたたましい騒音が鳴り轟き、飛び跳ねるようにして真幸は起床した。キス健のことをいろいろと想像しているうちに、真幸はノートパソコンをつけっ放しにしたまま机に突っ伏して眠ってしまったようだ。
上体を起こした真幸は床についた手のひらに強烈な不快感を覚える。冷たい。すぐにオシッコを触ってしまったと理解した。 部屋の数箇所にしてあったマーキングをすべて綺麗に拭き取る。少しキツメの下着に着替えると、じわじわと戦闘モードに切り替わってくる。簡単な朝食を済ませ、簡単なナチュラルメイクで見切りをつけワークスーツに身を包むと、どうしてか静かに燃えてきた。昨日の、いや今日のキス健のメールのせいかもしれない。よし今日もやるぞと玄関に向かうと、オシッコを踏んだ。冷たい。燃え始めていた炎はあっけなく鎮火する。もう仕事したくないな、とネガティブな真幸が顔をのぞかせた。 キス健とメールをしたということで出社しても躁状態が続いていた。高い集中力が維持できてとても捗るが、一息つくとすぐにふわふわと高揚してしまう。どんな仕事をしたのかな、と空想が広がる。 「真幸さん」 振り向くと高梨が書類を持って立っていた。左右非対称のネックレスをして女性的な印象の強いシンプルなホワイトのスーツに身を包んでいた。 「なんか嬉しそうですけれど、何かありました?」 そうなの聞いてくれる、と話してしまいたい衝動に駆られたが、真幸はその衝動をどうにか押さえつけた。高梨とは喧嘩している最中なのだ。 「真幸さん?」 「あ、うん。考え事してた。ごめんね。高梨さん何?」 真幸の意図を読みとったのだろう、高梨は微妙にしか表情を変化させなかったが、確かに不機嫌になった。 「教えて欲しいところがあるんですけれど、今大丈夫ですか」 高梨に仕事を教えている間、一枚の壁を挟んでいるようなよそよそしい雰囲気が流れ、それは真幸の意図した演出ではあったけれど、ちょっとやりすぎかもと反省した。 終業のチャイムが鳴ったが、真幸はチャイムが耳に入らずに作業を続けていた。今日はここまでにしようと区切りをつけて業務を終了させると、終業定時からすでに一時間半も過ぎていた。 一日中高い集中力が持続したから、仕事が大きく捗った。新人を発掘する企画のアウトライン。大御所のどうしてか見逃されてきた隠れた名作のピックアップなど、真幸がぼんやりと考え続けていたビジネスモデルを具体的に着手することができた。この企画が通り立ち上げられたならどれほどやりがいがあるだろう。 ふぅと一息ついてパソコンの電源を落とした。ハードディスクのモーター音とファンが止まり、静寂が辺りを包むと緊張から開放された。躰に残っている疲れが心地良い。充実した仕事をすることができたからだろう。真幸は両手を伸ばして欠伸をひとつした。 高梨があまり絡んで来なかったことに少しの期待外れがあったが、今日は高梨とあまり関わりたくない気持ちがあったから、ちょうど良かった。高梨は真幸を待っていないだろう。そんな気がした。その予感は当たり、オフィスと玄関ロビーのどちらにも高梨は居なかった。 今日もキス健からメールが来てるかな。パラレルワールドの真幸たち、真幸に結果を教えて――そんなことを空想しながらの帰宅している足取りは軽い。帰ったら一番にメール確認をしたいという気持ちと、返信がなかったら悲しくなってしまうという気持ちが同在して、見たいけれど見たくないという、どちらにも傾かない微妙な心理状態だった。 自宅アパートから一番近くの酒屋に立ち寄り、八%のレモン割りカクテル[恋酔い]を三本購入した。酔いたい気分だったから、味よりもアルコール度数の高さで決めた。 公園脇の幽昏い道を足早に歩く。雑木林の不躾で不気味な存在感に対して街灯が十分とはいえない間隔で設置されていて、真幸は恐怖を覚える。どうしても慣れない。早歩きしたことで躰が少し温まり、暑いな、と感じた。 自宅アパートの頼りない灯りが、アパートを淡く浮かび上がらせていた。それでもその淡い灯りに真幸は安心感を覚えた。なんともいえない安堵で満たされる。 自分の部屋のドアまでまだ距離があったけれど、ヒューウィーがカリカリと鉄製のドアを引っかく音が微かに聞こえた。真幸はその音に心苦しさを感じた。遅くなってごめんね。玄関へと急ぐ。 と、そのとき、視野に何かが引っかかった。何かがある。目を凝らして足元を見てみると、左右非対称でハート型をしたトップのネックレスが酷く無造作に落ちていた。それを拾い上げる。 あれ? これって…? 小悪魔のように魅力的な表情。センスを感じさせる女性的な装い。甘えた子供のような声。 高梨綾音。 どういうこと…? 警戒音。何かが起こった。いや、起こっている、なのかもしれない。 真幸はセカンドバックから携帯を取り出して、いそいで高梨にスクロールさせていく。しかし、高梨の名前に到達する前にその画面は中断され、メールが着信した。 >お久しぶりです。早川です。 今工堂さんの家の近くの公園にいます。来てください。 ///早川/// このタイミングでのメール着信は明らかに変だ。高梨と関係あるころは間違いないだろう。一体どういうことなの! 真幸は買ったお酒を玄関ノブに吊り下げ、公園に向けて走り出した。玄関を引っかきながら鳴いているヒューウィーの声が遠ざかる。
すぐに返信が来たことに驚いて張り切って書き出したが、取りとめなく書きまくってしまった。おまけにキーボードを打つのが遅いから、結局送信できたのは一時間後で深夜二時になろうとしていた。
それでも、まだ起きてるかもしれない可能性を考えると、とても眠れそうにない。しかし明日は仕事だから何とかして眠らなくてはならなかった。そうこうして一息点き少し冷静になり、送信したメールを読み返して、そのテンションの高さに恥ずかしくなった。普段、びっくりマークを入れるようなメールは書かない。自分がびっくりマークが連発してるようなメールをもらうとあまりいい気がしなかったからだ。そんなメールを自分が書いたなんて一体どれほど嬉しかったのか。 真幸は自分で書いたメールに戸惑う。キス健に「ヘンな子」と思わないか心配になった。 「ヒュー。だめだねぇ。真幸は…」 そう言いながらヒューを見ると、ヒューウィーは色気の低い普段用ショーツを噛み千切って遊んでいた。 「あ! だめでしょ!」 取り上げてショーツを見てみると、あちこちに大小の穴が開いていた。ヒューウィーは自分の仕事の成果を褒めて欲しいらしく、お座りして誇らしげに真幸を見つめている。 犬語が解るなら、今ヒューウィーはなんて言ってるのだろう…。そう思いながらじっとヒューウィーの顔を見た。ヒューウィーもまた真幸を見ている。 勝負下着は無傷だった。防虫材の臭いが効果を発揮したのかもしれない。落とした覚えはないが、床に落ちている勝負下着を拾い衣装ケースにしまう。そのとき、ぎゅっと胸が締め付けられて、慌ててショーツを奥に突っ込む。 「ヒュー、なんか言ってよ……」 なにもかもを見透かしたような大きな目で尻尾を振るヒューウィーを、ぎゅっと抱きしめた。 寂しい。 一人は寂しい。 心からそう感じた。 遠くに聞こえる救急車のサイレン。飲み帰りなのだろう下品な会話をしながら通り過ぎていく若者達。微かに聞こえるアパート住人の生活音。そして訪れる静寂。苦しい。 この空間にキス健が居てくれたなら、どれほど充実するだろう。想像すれば想像するほど気持ちが楽になっていく。普段はどんな声をしているのだろう。どんな表情をするのだろう。どんな服装でどんな仕草をするのだろう。食事はどんな風にして食べるのだろう。コーヒーにお砂糖とミルクは入れるのかな。優しく笑ってくれるかな…。会いたい。会って話をしてみたい。 シャワーを浴び浴室からタオル一枚を躰に巻いただけで出てきた真幸は驚いた。さっきメールを送ったばっかりだったのに、もう返信が来ていたのだ。嬉しくって嬉しくって、返信されたメールをタオルを巻いただけのまま何度も読み返した。読み返しながら、今すぐに返信すればまた応信してくれるかもしれないとそんなことが頭をよぎる。 三分前にメールは送られている。今ならまだパソコンの前に座っているかもしれない――心臓が痛くなるくらいに高鳴りする。 ショーツを履こうとプラスチックの衣類ボックスをあけようとしたが、慌てていて抽斗がどこかにひっかかり、ガタついてなかなか引き出せない。ようやく引き出して手にしたショーツがあまりにも色気の低い普段用ショーツで、どうしてこんなの手にするのよと自分を責めて床に投げた。今は下着だけでも女性らしいものを身に着けたい。万が一の為に買って置いた勝負下着を引っ張り出すと、ほんのりと防虫剤の香りがした。確かにずいぶんと勝負してないと妙に納得する。結局、勝負下着ほどではないけれど、ひらひらしたレースがついてホワイトで統一された可愛らしいデザインのショーツとブラを身に着け、Tシャツを着て返信を書いた。 キス健さんへ わーい!お返事がきた!うれしい~。ほんとにうれしい~。 キス健さん、ありがとう! キス健さんもお元気だったんですね。よかったぁ。ほんとによかったぁ^^ そうですかぁ、忙しいことがあったんですね。お仕事なのかな。それとも音楽のことかな。もっとほかの創作活動なのかな。でも!なにかできるのはいいことですよね。真幸はその間さみしかったけど、キス健さんのしていたことがうまくいったなら、それでいいですー^^ なんだか真幸はメールをもらっていっぺんに元気になりました!ひとりぼっちは慣れてるはずだったのに、ちょっと悲しくなるときってありますよね。あ、でも今はヒューがいるからひとりぼっちじゃないんですけど^^ あ!ヒューと言えば、キス健さん、犬語が話せるんですか!えー。そんなこと~。ホントかなぁ。できるなら真幸も話してみたいなぁ。でも、そんなこと、絶対できないから、キス健さん、今度ヒューウィーと話してみてくださいよ~。何を考えているのか聞いてみたいなぁ。 でも、犬語を聞いていたら人間でよかった、って思うってことは、犬も色々つらいことがあるのかなぁ。真幸は猫は怖くて苦手ですけど、あ、ホントはね、犬も怖いの。人にそう言うと、「嫌いなんでしょ?」って言われるけど、嫌いじゃなくて、怖いの。子供の頃、自分より大きな犬に追いかけられて、走って逃げて隠れたんだけど見つかって、そこでワンワン吠えられてずっと動けなかった。おねえちゃんが探しに来てくれて追っ払ってくれたんだけど、怖くて怖くて、家まで泣きながら帰ったよ。それ以来、犬を見て可愛いな、とは思うけれど、怖くて触ったりできなかった。 でも、ヒューウィーを初めて見たときに可愛くって可愛くって、でも、ほんとはちょっと怖かったけど、一緒にいたいなぁ、って思ったの。今、ヒューウィーを抱いてるのをおねえちゃんが見たらびっくりするだろうなぁ。見せたかったな。だってね、おねえちゃんとどこへ出かけても、前から犬が来たりするとね、必ず手をぎゅーっとつないでくれたんだ。真幸を隠すように守ってくれたの。 ね。そう思えば、いつも守ってもらってばかりの真幸だったけど、今はヒューウィーを真幸が守ってる気がするなぁ。そんなことないかなぁ。どうだろう。ヒューはどう思っているのかなぁ。やっぱりキス健さん、聞いてみてくださいよ~。 犬って…、動物はみんなそうなのかもしれないけど、無償で愛する術をもってるような気がするなぁ。人間はいくらそうなりたいと思っても、なかなかできないもん。なぜかなぁ、って思うんだけど、やっぱり、言葉がないからかな。真幸は言葉のない国へいきたいと思ったことあります。言葉がなかったら傷つくこともないのかな、と思ってました。でも、言葉だけじゃないですよね、傷つくのは。言葉がなくても傷つくし、同じ言葉でも、傷つく人と傷つかない人がいるし…。 真幸もだれかを知らないうちに傷つけてるかもしれない。ヒューだってこんなに可愛いと思っていても、やっぱりどこかで傷つけてるかもしれない。 そう思えば、やっぱり人でも動物でも仲良くしたり、仲良くしなくても知り合いだったりすることが苦手だなぁ。ひとりぼっちは寂しいけれど、真幸はひとりぼっちの方が生きていきやすいのかも。 あ。なんだかどうでもいいようなことばかり書いちゃった。うれしくてうれしくてお返事書いたのに、またいつものメールになっちゃった。真幸はちっとも成長できてないね。 今日はホントにありがとうございました!ホントにホントにうれしかったですー! おやすみなさい~^^ 真幸 真幸ちゃんへ 本当にお久しぶりですね。健はお元気なのですよ。元気しか取りえがないもので^^; 確かに忙しくはありました。ちょっと集中して終わらせたい活動がいくつかあったもので、真幸ちゃんに限らず、その活動に関わりを持っている人間以外は全てシャットアウトさせてもらっていました。このわがままは全くもって健の能力の低さが原因なのです。申し訳ありませんでした^^ 真幸ちゃんのほうもなかなか順調そうですね。「人を教えるということは~」のくだりがちょっと気になりますけれど、ま、でも、きっと真幸ちゃんなら乗り越えられますよ^^ ヒューちゃん元気ですか! それはなにより。健は犬語なら少し話せるのですが、彼らの言語はうなり声や甘え声といった無観念言語で構成されているので、ちょっと退屈ですよね。しかし彼らの会話を聞いていると、人間で良かったなぁと心から感じたりします。 ま、それでも、どれだけ言葉が通じたとしても、人間も犬と同様に常に孤独ですけれどね^^ >>>キス健 キス健さんへ お元気ですか? 真幸は元気です。久しぶりにメールを送ってみようかな、と思って書いています。 キス健さん、忙しいみたいだったけど、どうしていましたか? お元気ならいいんですけれど。 真幸はメールができない間も元気でしたよ。お仕事も一生懸命頑張りました^^ 後輩に仕事を教えるのがとても難しかったけれど、なんとか頑張ってできました。ホント、とても難しかったんですよっ。やっぱり真幸には人を教えるということはまだまだ無理かもしれません。 あ!ヒューはげんきだよ。もう可愛くってかわいくって! いつかキス健さんに抱っこしてもらいたいなぁ^^ じゃぁまた書きます。さようなら。 真幸 本当は別に書きたいことがまだまだたくさんあった。とくに辞めた早川のことを詳しく書き、いろいろな相談をしてみたい。でも久しぶりのメールなのに悩み事ばかり並べることは嫌われそうで怖かったから、それはどうしても避けてしまった。 それでも、キス健にメールを書いているうちに安堵感が生まれて、元気な様子が伝えられればそれでいいやと思ってしまっていた。 ただ一つ懸念があった。約束の五月が来ていないのに送信してもいいのか。書き終わって悩み、悩んでいるうちに深夜十二時を過ぎてしまう。五月まであと一日。約束を破る形になるから、返事が来なくてもいいやと思い吹っ切れて、ようやく送信ボタンをクリックした。 クリックした後に少しの虚脱感があった。それをどうにか乗り越え、真幸はメールのできなかった二か月間の、書くだけ書いて送れなかったキス健へのメールを読み返してみた。 高梨や早川が会社に入ってきたこと、後輩に仕事を教えることの難しさ、仕事のトラブルのこと、花見での出来事。ヒューウィーとの日常。日記のように綴ってあったそのメールを読んだ。その時々の情景が鮮やかに蘇り、細部を思い出しながら早川が辞めるような出来事があっただろうかと考えてみた。しかしどこにもそれらしいものは見つからない。 いろいろな出来事があった二ヵ月をキス健は何も知らない。本当は聞いてほしかったけれど、やっぱり何も書かなくてよかったと感じる。 「ヒュー、キス健さんにメールしたよ。お返事がくるといいね」 なんのことか理解していないだろうヒューウィーを、真幸はいつもよりやわらかく抱きかかえた。ヒューウィは抱かれ心地に満足して、目を細め無防備にお腹を見せていた。
| ||||